Tokyo Bright Gallery PHOTO CONTEST 2025
入選者発表
Tokyo Bright Gallery PHOTO CONTEST2025は厳正な審査の結果、Suzuki takuya、竹堂史嗣、ヨウシンキ、Gary McLeodの4名が入選いたしました。多くのご応募をいただだき誠にありがとうございました。




鈴木 拓哉 「センチな関係」
コンセプト=人と人の間にある距離感を実際に測り数値化する。
ある時、二人の女性を撮影した時のこと。
私はその二人が言葉では「私達は身内のような関係」と言っていたのにも関わらず、そのよう
に見えなかったことがある。距離感も遠いし、仲がいいようにも見えなかった。しかし二人が
嘘をついているようにも見えなかったのだ。二人は必要としあい、共生しているように私には
感じたのである。
仲が良くて一緒にいるのも素晴らしいが、そうではなく必要だから一緒にいるということは何
て人間らしい冷静で良好な関係なんだろうと想像し、勝手に感銘を受けたのである。
そこがきっかけでその実像を確かめるために距離感の数値を実際にメジャーで測ってみること
にした。私はデータを取るために130組の方々を撮影した。
撮影方法としては向き合った女性達に「心地よい距離を調整してください」と伝えて距離を調
整してもらった。
決定した時点で初めてメジャーを取り出し、実際にヘソからヘソの距離を測ってもらい距離感
を数値に直した。
視覚化して見えてきたのは、矛盾と折り合いと気持ちの交錯だった。
近づきたい、離れたい、仲が良く見られたい、そこまでじゃない。
その全てが数字に表れているように感じた。
軽やかで柔軟で人間関係の荒波の泳ぎ方を私は女性から学んだような気がした。
※SNSで被写体を集めた。
一人の女性にもう一人連れてきてもらい、リアルの関係性がある女性二人を撮影。




竹堂 史嗣 「見えないものの証言」
本シリーズは、ストリートスナップ・自身の写真の複写・映画や映像の複写を組み合わせたモノクロ作品です。
これらの「現実に存在するもの」と「映像として再生されたもの」は現実を写しながら同時に虚構の表層を見せています。
写真は本来、現実を記録するものとして確立されてきました。しかし撮影→投影→複写→プリントを繰り返すことで、
そこに写るものはだんだんと性質を変え、別の意味を帯びていきます。街の看板や人の影、スマホを持つ手、映画のワンシーン、それらは確かに実在するものですが、同時に虚構として私たちの前に立ち現れます。
今の時代、私たちは無数のイメージに囲まれています。SNSや広告、映画やニュースの断片が同じ画面のなかで混ざり合い、どこまでが現実でどこからが虚構なのかを区別することは難しくなっています。今回の作品は、そのようなイメージの氾濫のなかで、消滅と更新によって意味が変化する写真の性質を見つめ直す試みでもあると考えます。
都市の景観や画面の中のイメージを“写真”によって均質化することで、写真が本来的に持つ「現実を記録する力」と、複製や再生のプロセスで必然的に生じる「虚構性」とがせめぎ合う場を浮かび上がらせるのではないでしょうか。



ヨウシンキ 「水は水の中に溶け込んでいくように」
2023 年の夏、私は初めて福岡県新宮町にある相島を訪れました。
この小さな島は「日本五大猫島」のひとつとして知られ、多くの
国内外の観光客を惹きつけています。私もあるきっかけでボラン
ティアとして島の生活に関わるようになりました。この 2 年間、
私は島民と共に暮らしの中で、猫以外の相島の一面にも触れるよ
うになったのです。
私はこの島の寺の住職と親しく、よく歴史について語り合いなが
ら彼のポートレートを撮影していました。しかし、残念ながらその
住職は昨年の春に癌で他界しました。生前に私が撮った写真は、彼
の遺影として使用されました。
この出来事をきっかけに、私は写真についての考え方を大きく変
えることになりました。以前は写真を、世界を見つめるもう一つの
方法だと考えていました。それは視覚的な日記であり、言葉では表
現しきれない感情を映し出す手段でした。しかし今では、それ以上
の意味を持つようになりました。写真は「世界との関係性」であり、
「人と人とのつながり」であり、「時間との対話」でもあります。
写真を通じて、思いもよらぬ人々と出会い、つながりが生まれ、彼
らと私の存在がこの世界に記録されていくのです。
現在、島を訪れるたびに新たに誰かが亡くなっていることが多く
なりました。10 年後には猫たちが姿を消し、相島はただの離島に
戻り、さらに数十年後、最後の島民がいなくなれば、無人島となっ
てしまうでしょう。
海の中から生まれ、海に囲まれた文化を育み、他所から連れてこ
られた猫と、島から離れられなかった人々――彼らはこの島の終焉
を静かに見届け、やがて何もなかったかのように、広大な海へと溶
け込んでいくのです。






Gary McLeod & Others 「KAMAISHI TIME 」
What does a recovering landscape look like? Since 2019, I have spent over 56 days across six years rephotographing in Kamaishi city (Iwate Prefecture). Rephotography has many names (including fixed-point observation or repeat photography) and its initial significance in Kamaishi might be documenting reconstruction following the 2011 earthquake and tsunami. But how long does recovery take? And how to know recovery is complete? Rephotographing with no timeframe opens up conversation with an earlier past and a further away future. Subsequently, rephotographing begins to reflect the quieter changes of normality. So, if a recovering landscape looks like anything, it should look familiar.
復興の風景とは一体どのようなものでしょうか?2019年から6年間、私は岩手県釜石市で56日以上を費やし、再撮影を行ってきました。再撮影には様々な呼び方があり(定点観測や反復撮影など)、釜石市におけるその最初の意義は、2011年の地震と津波からの復興を記録することだったのかもしれません。しかし、復興にはどれくらいの時間がかかるのでしょうか?そして、復興が完了したとどのように判断するのでしょうか?時間軸を定めずに再撮影を行うことで、過去の出来事や、はるか遠くの未来との対話が始まります。そして、再撮影は、日常の静かな変化を映し出すようになります。ですから、復興の風景が何かに似ているとすれば、それは見覚えのあるものであるはずです。


